張飛 益徳(翼徳)


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張飛 益徳

 

 

 

生没年:?~ 章武元年(221)

 

所属:蜀

 

生まれ:幽州涿郡

 

 

勝手に私的能力評

 

張飛 蜀 劉備 スネ夫 猛将 自滅 鬼 厳格

統率 S- 部下に厳しく当たるというのは、言い方を変えればビシバシ鍛える番長。実際に彼の兵は精鋭だったようで、随所で大活躍している。まあ最期を見るに、明らかにやりすぎか。
武力 S 長坂橋の大喝は誇張こそあれ、おおむね事実。程昱からも万人の敵と言われており、実際に武勇は随一だったと見るべきだろう。
知力 B 長坂の戦いでは密かに兵を伏せていたり、漢中争奪の抗争では張郃を知略で大破させたりと、意外な事に知略エピソードは少なくない。
政治 D 張飛の政治とかちょっと想像できない。まあ部下から怖がられたあたり、于禁とかと同じタイプだったのかもしれない。
人望 D 関羽と逆に名士には媚びたものの、劉巴に「武人ごとき」と見下されている辺りそんなに人気はなかったのかも。部下からは当然恨まれた。

 

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張飛(チョウヒ)、字は益徳(エキトク)。演義では翼徳となっていて、なんか格好良くなっていますが……あくまで正史においては終始益徳を名乗っています。

 

もうこんなマイナーサイトを覗きに来ているような方なら、きっととっくにご存知ですよね。酒と戦をこよなく愛する、憎めない猪武者。ドラえもんでいえば、ジャイアンみたいな存在ですね。

 

 

しかし、実際の彼はというと……

 

 

 

 

 

 

長阪橋の鬼

 

 

実のところ、張飛に関してはあまり事績の記載は多くありません。若い時に関羽と共に劉備に仕え、関羽のほうが年上だったので、彼を兄として従ったとあり、それ以降はまず呂布に攻められた際の守将として(後述)、次には建安13年(208)の長阪(チョウハン・長坂とも)での戦いで、その名前が出てきます。

 

 

この戦いは、荊州に傭兵として居候していた劉備が、その荊州を制圧した曹操の追撃から逃れるための逃亡戦です。

 

この時、劉備は南へ逃れていたのですが、曹操の強行軍がすぐ背後に迫ったため、劉備は数十のお供だけを引き連れて逃走、軍は大混乱に陥ったのです。

 

 

当然、団結力のなくなった劉備軍はすぐに崩壊。軍勢の中に取り残された妻子も曹操軍につかまり、身軽になって逃げる劉備の元にもいよいよ曹操軍の先遣隊がさしかかろうとしていました。

 

 

そこで名乗りを上げたのが張飛。彼は手勢の20騎ほどを指揮し、橋を渡り切ったところでその橋を切り落として、曹操軍を大喝。

 

「死にたいやつはかかってこい! 張益徳が相手になるぞ!」

 

 

この一声を聞いて敵軍は怯んで結局誰も張飛に斬りかかれず、そのおかげで劉備は逃げおおせたのです。

 

 

 

 

劉備の主力として

 

 

赤壁の戦いに勝利して劉備が荊州南部を平定すると、張飛は晴れて将軍職に就任。その後劉備の蜀取りの際には、諸葛亮らと共に援軍として参戦。益州各県を一気に攻め落とします。

 

 

ここで張飛は厳顔(ゲンガン)という武将と戦い、彼を捕縛します。この時張飛は、厳顔が圧倒的不利にもかかわらず抗戦を選んだのを不思議に思い、彼を詰問しました。その問いに対して厳顔は、「この益州には戦死する将軍はいても、おめおめと降伏するような奴はおらん!」と張飛を罵倒。

 

この厳顔の態度に張飛は怒り狂い、彼の処刑を命令。しかしその様子を見ても厳顔は一切動じず、「斬るならさっさとすればいいだろうに。どうしてわざわざ腹を立てるか」と切り返したのです。

 

 

この厳顔の態度は張飛の心を打ったのでしょう。張飛は厳顔を釈放し、態度を一変。厳顔を客人としてもてなすようになったのです。

 

 

以後も張飛は戦う場で全戦全勝。劉備が成都を落として益州を完全に掌握した暁には、法正(ホウセイ)、諸葛亮、そしてよく留守を守った関羽に対しては特別な恩賞を与えたのです。

 

 

建安20年(215)には、劉備領との境目付近で移民を護衛していた張郃(チョウコウ)の軍と交戦。50日を超える対峙の末、張郃軍を狭い山道に誘い込むことに成功し、精鋭1万をひきいて各個撃破。張郃は数十人の供回りと共に戦場を脱出するのがやっとだったそうです。

 

 

その後馬超らと共に曹操領に侵攻しますが、ここでは同行していた呉蘭(ゴラン)の軍が壊滅したことにより敗北。特に戦果を挙げられないまま撤退を余儀なくされました。

 

 

その後劉備が皇帝になって蜀漢を設立させると、張飛は最上位クラスの将軍である車騎将軍、さらには司隷校尉(政府重役のお目付け役)に兼任という形で就任。

 

 

そして劉備が、先年孫権に奪われた荊州の奪還、およびそこで死亡した関羽の仇討ちの軍を起こすと、張飛も1万の軍を率いてこれに合流しようとします。

 

が、かねてから張飛を恨んでいた部将によって張飛は暗殺され、これから戦争を仕掛けに行こうという孫権軍に出奔。

 

後々知らせを聞いた劉備は放心状態に陥ったそうです。

 

 

 

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風説ジャイアン、実情はマッシブ・スネ夫

 

 

さて、ここから人物像に関する逸話をご紹介。

 

この張飛、近年ではバカで憎めないお調子者な印象がついて回りますが……実は正史の記述を見る限りは、この手のジャイアンタイプとは真逆。強い者には敬意を表し、立場が弱ければとことん強く出る、言ってしまえばスネ夫タイプの人物だったようです。

 

そのため、彼の軍は処刑される兵士も多く、さらに毎日のように誰かが鞭でしばかれるという、何とも殺伐とした組織に成り果てていたとか。

 

 

この結果起きた惨劇の一つが、呂布による徐州産奪。上にチラっと書いたものですね。

 

建安元年(196)、徐州の主であった劉備袁術(エンジュツ)と争っていたころ、張飛が曹豹(ソウヒョウ)という人物といざこざを起こしたことがきっかけで、呂布軍に攻められて下邳城は陥落、呂布に徐州を奪われたという話が残っています。

 

この時、曹豹は呂布と内通して逃げたとも、張飛に殺されてそれを見た他の人物が呂布と内通したとも言われていますが……どちらにしても張飛が曹豹に殺意を抱き、しかも実際に殺害計画を立てて実行しようとしたのは事実のようです。

 

この通り、雑魚と思えば徹底的に強く出るのが張飛の悪癖でして……見かねた劉備からも忠告されたようですが、全く聞き入れなかったそうな。

 

 

そして、その結果が最期の最期。いじめまくっていた兵士の中から裏切り者が現れ、それらによってまんまと殺されるに至ったのです。

 

 

張郃を打ち破った辺りなかなかどうしてかなり切れ者のようですし……やはり張飛は、やたらと腕っぷしの立つスネ夫のような存在だったのかもしれませんね。

 

 

 

 

それがどうしてかネタキャラに

 

 

さて、張飛と言えばネタキャラとしての扱いも多いですね。主によく見られるネタは以下2つ。

 

 

・ロリコン

 

・オチ担当

 

 

 

まず前者。

 

 

じつは張飛には妻がいるという設定がおりまして、それがあろうことか、曹操軍の重鎮・夏侯淵の姪だったそうな。

 

劉備曹操配下から離反するとき……張飛は夏侯淵の姪をひっ捕らえて連れ出し、そのまま妻にしたというのです。

 

敵方の重鎮の姪というだけでもすさまじいですが、この時の姪っ子の年齢はわずか13~14歳。わお、強烈。

 

 

…………まあ、当時の女性はそれくらいで嫁ぐのも割と普通だったので、違和感はそんなにないですがね。ともあれ、これのおかげで、張飛は無双シリーズの周瑜をしのぐロリコンという扱いになっていくのです。

 

 

 

 

さて、もう一つのオチ担当。

 

 

これは明代に作られた、笑府というギャグエピソード集にある話が有名でしょうか。だいたい要約すれば、以下のような話です。

 

ある時、とある男が野ざらしの遺骸を発見して、可哀想だったので弔ってやった。

 

その晩、男の家に人が訪ねてきて、「妃(フェイ)」と名乗った。なんと、彼が弔った遺骸は、世界三大美女にも挙げられる、あの楊貴妃だったのだ。

 

男は楊貴妃の「お礼がしたい」という思いに応え、一夜を共にした。

 

 

 

さて、この話を聞いてうらやましがったのが、隣に住む男。隣の男は遺骸を求めてさまよい歩き、ある時ようやく、野ざらしの遺骸を見つけて供養してやった。

 

 

そして待ちわびたその日の晩、ついに隣の男の家の戸を叩くものが現れたのだ。さらに戸を叩いたものは「フェイ」と名乗る。

 

 

喜んで戸を開けると、そこに立っていたのはフェイはフェイでも張飛(チャンフェイ)、つまり蜀の張飛だったのである。

 

呆然とする男に対し、張飛は言う。

 

 

「永い間野ざらしにされていたのを、あんたに供養されて助かったぞ。どれ、一晩、下の世話をしてやろうじゃないか

 

 

この話は後に落語の『野ざらし』というものに再編されて、今も親しまれています。

 

 

その他にも諸葛亮相手に頓珍漢な問答を繰り広げたり、若いころ関羽に出し抜かれて喧嘩になったりと、張飛の面白エピソードはなかなか多いです。

 

やはり三国志演義の、酒好きなバカキャラという個性が大うけした結果、こういう役回りも自然に増えていったのでしょうね。

 

 

 

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 5巻

 

 

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