周泰 幼平


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周泰 幼平

 

 

生没年:?~?

 

所属:呉

 

生まれ:揚州九江郡下蔡県

 

 

勝手に私的能力評

 

周泰 孫権 呉 名誉の傷 護衛 猛将 孫権被害者の会 漢中太守

統率 B 寒門出身のためナメられる事もあったが、兵から不満があったような話は聞かない。濡須なんて重要拠点を任される辺り、相応に統率力も持っていたのだろう。
武力 S 全身傷だらけになりながらも暴れ回るタフガイ。孫権が若くして死ななかったのは彼の功績が非常に大きい。彼にかけられた短命の呪いを打ち破ったのだから、武勇は間違いなく最高峰だったのだろう。
知力 D 知力エピソードは悲しいくらいに存在しない。
政治 D 武官である以上、政治に口出しすることはない。
人望 C+ 孫策、孫権からは高く評価されたが、やはり寒門出身という出自が足を引っ張ったようだ。

 

 

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周泰(シュウタイ)、字を幼平(ヨウヘイ)。昔は結構なマイナー武将でしたが、三國無双なんかのメディアで取り上げられてから知名度が大幅に上がった人ですね。

 

ゲームなどではたびたび孫権のボディガードとして登場し、だいたいのメディアで無口な印象を与える人物ですが……史書でもあまり変わりなく、ほぼその通りの人物像を形成しています。

 

 

今回はそんな寡黙な勇者、周泰の伝に迫っていきましょう。

 

 

 

 

 

 

傷だらけの守護神

 

 

周泰は昔から蒋欽と仲のよい友人だったようで、はじめは孫権の兄・孫策に二人そろって加入。慎み深い忠勤と戦争でたびたび手柄を立てる能力を気に入られ、またたく間に孫策の側近に加えられました。

 

 

そして建安元年(196)孫策が会稽(カイケイ)の攻略を成功させ江東一帯を制圧すると、別部司馬(ベツブシバ:別動隊隊長)に任命され、一軍を預かる身分になります。

 

そんな折、周泰は孫策の弟・孫権に出くわすのですが、孫権は周泰に一目惚れ。孫権の猛アタックと孫策への打診を経て、孫権の配下に移籍することになりました。。

 

 

さて、この頃(というかだいたいいつも)江東では山越族という異民族の領内侵攻に悩まされており、呉はたびたび山越攻撃の軍を起こしていました。

 

当然、呉ができる20年以上前の孫策の時代にも山越の動きは活発で、孫策自身が山越討伐に出向くこともしばしばでした。

 

 

そんな山越討伐の折、孫権と周泰らが孫策の山越討伐のお留守番として宜(ギ)城を守っていた時、『まさか』の瞬間が訪れます。

 

なんとお留守番中の孫権の元に、山越軍数千が攻め寄せてきたのです。対する宜城の兵は千に満たず、攻められることを想定もしていなかったため防備も中途半端という有様。兵たちも混乱し、山越の攻撃に右往左往といった様子。

 

そして孫権自身にも敵が殺到し、馬の鞍にすら刀傷がつくほどに追いつめられる中、周泰は一人奮戦し、孫権を護衛。その雄姿は常人の及ぶところではなく、周泰のこの奮戦によりようやく兵たちも息を吹き返し、数倍にも及ぶ敵軍をすべて追い返すことに成功したのです。

 

 

しかしこの代償に12か所も傷を被る瀕死の重傷を負った周泰は、戦いが終わると昏倒。しばらくの間休養を余儀なくされたのです。

 

 

ともあれ、この働きによって後の呉国初代皇帝・孫権の命が守られたことは言うまでもなく、孫権も彼に深く感謝。傷が癒えると一つの県を任地として丸々彼に与え、後々には県で集めた税金すべてを周泰の財産にするのが許されたとされています。

 

気性が荒く気難しい孫権も、命の恩人には最大限敬意を表したのです。

 

 

当然、孫権孫策の跡を継いだ後も、父の仇敵・黄祖(コウソ)討伐や赤壁の戦いなどにも従軍。その都度戦功を挙げ、ついには平慮将軍、さらには対曹操最前線である濡須(ジュシュ)の司令官にまで上り詰めました。

 

 

 

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名誉の傷は味方も動かす

 

 

さて、これだけの働きを見せても、所詮はどこの馬の骨かもわからない家の出。特に呉では豪族の力が強く、家柄や血統が何より重視される場合も少なくはありません。

 

孫権がよくても、その配下の中には血統や門地の劣る彼をよく思わない人物も大勢いました。その代表格として名前が挙がるのが、朱然(シュゼン)と徐盛(ジョセイ)。どちらも孫権軍では人知勇を兼ね備えた名将中の名将ですが、それだけにプライドが高く気難しい部分もあったのです。

 

 

しかも彼らだけでなく、将軍の誰もが周泰に従おうとせず、全く統率が取れない状態。

 

そこで孫権は濡須に自ら視察に乗り出し、将軍らを集めて大宴会を実施。しかも主君自ら手酌を行い、諸将のご機嫌取りに終始します。

 

こうして自ら場を盛り上げた後、孫権は周泰をその場で裸にし、彼が負った傷の一つ一つを指差して、どこで何をして負った傷なのかを答えさせたのです。当然、それらの傷の中には以前山越から孫権を守ったときの物までありました。

 

そんな周泰の武勇伝と忠義を見せられては、さすがに朱然も徐盛も彼を認めざるを得ません。この宴会を境に、周泰を見下していた諸将の行動は一変。彼に最大限敬意を表し、その命令を素直に聞くようになりました。

 

ちなみにこの時、孫権は周泰を字で呼び、最大限敬意と親愛を示したとされていますが……以前命を救われた恩義のある孫権ならば、こういうことをしたくなるのもわかる気がします。

 

 

 

孫権関羽を討ち取って劉備らと敵対すると、周泰は昇格の上、漢中太守に任命されました。これはもし劉備を滅ぼせれば対魏最前線を任せるという意味合いで、ここからも孫権の厚い信頼が伺えますね。

 

 

しかし周泰はその後活躍を見せることなく、数年後に病死。これほどの忠臣の死期が歴史に記されていないのは、何とも悲しい気がしますね……

 

 

 

 

庶民出身者は扱いが悪いのです

 

 

 

どの国、どの時代も、どうしても身分の壁というものは存在します。結局人は見下したいものはメリットが無くても見下すもので、家柄差別なんかは特にその最たる例だったと言えるでしょうね。

 

例えば魏では、徐庶(ジョショ)や薛悌(セツテイ)のような庶民出身の大物が高い位に上り詰めていますが、正史三国志の本文に伝が立てられる事がほぼなかった辺りからも何となくその辺の事情が伺えます。

 

 

周泰が所属していた呉は、土着名士中心の派閥と外様中心の名士派閥の間で水面下の争いが繰り広げられる国。気位の高い人物も多く、庶民出身で高い身分にある人物はそれだけで精神が削られる思いだったでしょう。

 

 

事実、周泰も朱然や徐盛といったそこそこ以上の家の出のお坊ちゃま将軍から突っかかられています。もっとも、この二人はプライドが高いものの話は分かる人物なので、結局丸く収まったのですが……中央の名士の中には、周泰のような庶民の事を良く思わない人物も大勢いたのではないでしょうか。

 

 

 

ちなみに陳寿では、徐盛や友人の蒋欽らと共に「勇猛な人物で、呉が割拠する大きな要因となった」と評されています。

 

庶民は高官に上り詰めても伝は消されてしまう事が多いのですが……やはり周泰の活躍がそれだけ大きかったという事でしょうか。

 

 

 

 

 

 

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