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張紘 子綱

 

 

生没年:?~?

 

所属:呉

 

生まれ:徐州広陵郡射陽県

 

 

 

 

張紘(チョウコウ)、字は子綱(シコウ)。史書的にも知名度的にも張昭(チョウショウ)とはお互いのスペアといった立ち位置の人ですが、片割れがあまりに派手過ぎるため割を食って存在感が微妙な人物。

 

が、張昭も張紘も名士としてはまさに超一流といった人物で、特に文才に優れてそちらでの活躍もしたようですね。

 

 

あんまりに堅物すぎて滅茶苦茶な張昭と比べて特に悶着を起こさなかったあたり、人物的にもかなり優等生気質だったのではないでしょうか。

 

 

 

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張昭のスペア

 

 

 

張紘の若い頃は、なんと都での学業三昧。華の都で最先端の学問を多く身に着けた都会派だったようですね。

 

『呉書』によれば、韓宗(カンソウ)という博士に師事。注釈入りの易経や書経をはじめ、多くの書物に習熟。その後今度は東に下って陳留(チンリュウ)で濮陽闓(ボクヨウカイ)なる人物からも手ほどきを受けたとのこと。

 

とはいえ、張紘が学問に打ち込んでいる時には、もう時代は乱世の秒読み段階。時代が荒れに荒れることは誰の目にも明らかでした。

 

 

張紘は学問を究めて故郷に帰った後からも三公(太尉、司徒、司空。言ってしまえば大臣)の役所からじきじきにオファーを受け取るほどの優等生でしたが、上記の事情もあったためか出仕を拒否。それどころか戦乱を嫌って長江を下り、揚州(ヨウシュウ)まで逃げてしまいました。

 

 

その後、孫策(ソンサク)が兵を挙げて江東の制覇に乗り出すと、この新興勢力に初めての仕官を果たし、校尉として迎えられました。『呉歴』では母の喪中に孫策の訪問を受け、三顧の礼で迎えられた旨が書かれていますが……実際のところはよくわかりません。

 

しかし、この若き大将はいささか血気に逸るところがあったため、時折自らが陣頭に立って指揮を執りたがる悪癖がありました。張紘はそれを見て「いかんな」と思い立ち、孫策に諫言を送っています。

 

「総指揮官というのは全員の命を預けるための役職であり、目先の敵にぶつかるための役どころではありません。軽はずみな行動はお控えください」

 

この諫言を孫策が受け入れたかどうかは史書に書かれていませんが……まあ、当人の性格を考えると「もっともだ」とか言いながら従わなかったのでしょう、たぶん。

 

 

再び『呉書』の記述。孫策はどこかに戦争に出かける時、必ず張昭か張紘のどちらかを連れていき、片方には留守番をお願いしていました。この辺からも信頼が伺えますね。

 

呂布(リョフ)が故郷の徐州を占拠した時は張紘の引き抜き工作を行ったようですが、呂布が大嫌いな張紘は歯牙にもかけなかったそうな。

 

また孫策の方でも張紘が離れるのを避けるため、「真珠は産出される海以外でも欲しい人は多いし、春秋戦国時代も楚の出身者が外国の天下統一に尽力したこともあった。立派な才人が力を発揮できるのは故郷だけと決まっている道理はない」という旨の手紙を送って引き留めたとか。

 

 

 

 

真珠はどこにいても皆欲しがるのです

 

 

 

建安4年(199)には、ようやく孫策の急速な勢力拡大にも落ち着きが見え始めました。

 

そこで、孫策はとうとう外交にも本腰を入れることを決意。張紘を使者に立て、帝を擁する曹操(ソウソウ)の元に送ることにしました。

 

 

張紘は曹操が帝のために宮殿を作った許都(キョト)に到着すると、さっそく孫策の上章文を提出。一通り使者としての役目をこれで果たしたことになりますが……なんと人材コレクターである曹操によって引き留められ、侍御史(ジギョシ:官吏相手の検察)の官位を与えられてしばらく許に滞在することになったのです。

 

この時に張紘は多くの名士からも一目置かれ、多くの人と交友を結ぶことになったのですが、あくまで気持ちは孫策に向いていた様子。

 

張紘は孫策の訃報をはるか遠くの許で聞くことになりましたが、曹操がこれに付け込んで孫策の旧領を攻めようとしたときに「死を利用して攻めるのは道義に反し、失敗すれば恨みを買ってしまう」と断固反対。この辺りからも、孫一門への忠誠心がかなり高かった可能性が伺えます。

 

 

曹操もそんな張紘を見て懐柔は無理と思ったのか、兄の事業を引き継いだ孫権(ソンケン)にそのまま孫策の位を譲渡。張紘も「孫権を配下に引き入れるための駒」という名目で揚州に帰すことにしました。

 

 

と、こんな状況から曹操側とも孫権側ともわからない立場で送り返された張紘ですが……『呉書』によればこの後孫権からも大いに信頼され、外交文書の起草なんかを行ったそうな。

 

また、呉の戦記のような記録も残しており、孫権の父や兄を絶賛する文章を孫権に提出して感嘆させたり、また問題行動の多い孫権に対する諫言も片割れと違ってオブラートに包んだり……

 

いずれも正史本文にない記述なので、案外途中まで任用されなかったか魏からすると「重宝された」記述が都合が悪いので削除されたのかはわかりませんが……少なくとも『呉書』を見る限りかなり重宝されていますね。

 

 

後に孫権は喉元の刃物に等しい立地の合肥(ガッピ)を攻めることになりましたが、ここでも孫権は孫家の血筋から自ら突出しようとしました。

 

そのため、参謀としてついてきていた張紘はこれに対して「それは部将の仕事であり、全員の心を集める総大将のやることではありません」とどこかで聞いたことがある諫言を行い制止。

 

結局この時に戦争の目標は果たせず帰還しましたが……孫権は「これで終わるものか」と翌年にも再び軍を動かそうとしたため、張紘はここでも出陣の取りやめを懇願。

 

「軍事的な成功は時節に噛み合ってこそ成し得るものです。今は兵を休ませ、内政や人事に力を入れましょう」

 

孫権はこの意見を受け入れ、合肥への侵攻は一旦停止。数年の空白期間が設けられることになったのです。

 

 

後に張紘は、本拠地を呉から秣陵(バツリョウ:のちの呉の都・建業)に移転することを提案。孫権にこれを受け入れられ、移転後の後始末に追われるのですが……張紘はそんな大移動の最中に折悪く病死。死の間際、孫権に対して置手紙を残しており、本文にもそれが記されています(後述)。

 

享年60。孫権は置手紙を読むと、涙を流したと記されています。

 

 

 

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張紘の置手紙

 

 

 

と、このように相方と違って静かながらも確かに重宝された張紘は、三国志を編纂した陳寿からも高く評価されています。

 

曰く、その評は以下の通り。

 

 

その申し述べるところは筋が通っており、意図するところも道理にかない、まさに一世の逸材だった。孫策の彼に対する礼遇が張昭に次いだのも、確かな理由があった

 

 

張昭≧張紘といった感じの評価ですが、いずれにしても大物であったことに変わりはありません。

 

また文豪としても知られていたようで、詩、賦、銘など、学術書に限らず多くの分野で十余りの作品を世に遺していますね。

 

 

さて、そんな政治に文芸に学術にと名士のたしなみをとことんマスターした張紘が最期に遺した置手紙を書いて、張紘の記述のまとめをしめたいと思います。

 

 

昔から統治者は徳のある政治を行い、かつての黄金時代に匹敵する時代を築きたいと考えているものですが、これがなかなか上手く行きません。

 

そんな芳しくない結果に終わるのは必ずしも忠臣や有能な者がいなかったからというわけではなく、主君の個人的な好き嫌いでそういった者たちに真っ当な働き口を用意できなかったからです。

 

 

そもそも人の性というものが、困難を嫌って楽な方に転がり、同じ意見が大好きで考え方の違う者を排除したがるわけですが、こういった気持ちは良き治世に逆行するものです。

 

「善に従うのは坂を上るようで、悪に従うのはどっと崩れるよう」という言葉がありますが、これだけ善行というのは難しいのです。

 

君主たる者、世襲と地勢に拠って人の上に巨大な権力を振りかざしているのですから、おべっか使いの同調者に喜んでしまい、他人の意見を求めるようなことはなかなかできません。

 

それに対し、忠臣ほど正しくも実現困難な道を示し、耳の痛い言葉を吐くわけですから、それは主君に嫌われるのも当然と言えるでしょう。

 

 

主君と臣下の間がピッタリと埋まっていないと、できた隙間から弁舌だけが得意な連中が取り入りに入ってきます。連中のくだらない自称忠義立てに心を乱され、寵愛に引っ張られて賢者と愚者の区別もつかず、序列を乱すことは主君によくある破滅の道ですが、原因は好悪感情で心が乱されて正常な判断ができなくなることにあります。

 

だからこそ、聡明な主君は道理に従い、賢者を飢え狂ったように探し求め、諫言にウンザリすることなくどんどん受け入れ、感情も欲望も抑えて正しい道義のために恩愛を割くのです。

 

 

上に立つ者の寵愛が不公平で理不尽なものであれば、下の者は僥倖など期待することもしません。どうかこの事を常に思い出し、決して高ぶることもされず、大きな仁愛で人々を包んでいかれますようお願い申し上げます。

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