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孫瑜 仲異

 

 

生没年:熹平6年(177)~建安20年(215)

 

所属:呉

 

生まれ:揚州呉郡富春県

 

 

 

 

孫瑜(ソンユ)、字を仲異(チュウイ)。孫静(ソンセイ)が遺した早死にの名将第1号ですね。

 

弟に孫皎(ソンコウ)という名将2号がいるのですが、あちらが武勇に優れた剛の将だとすれば、こちらは柔の知将といったところ。

 

 

孫静の息子がそれぞれ別の得意分野で活躍したのを見ると、孫一門の血がいよいよ何にでも染まる虹色の血統だったのかなと思えてしまいますね。

 

 

 

 

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父親とバトンタッチ?

 

 

 

孫瑜の記述が始まるのは、孫権(ソンケン)が党首になってしばらく後の事。一門衆の1人として、数少ない校尉(コウイ:将軍には及ばないものの軍の指揮を行う高級軍人)の席と配下の兵を与えられ、孫権軍に加わったのです。

 

 

実は孫権が当主に上ってから血族の反乱も頻発しており、孫瑜の兄も反乱未遂により父と共に故郷に帰って大人しくすることにしたという背景があり……おそらく孫瑜が孫権軍に加わったのは、父と入れ替わりでのことでしょう。

 

つまり、孫瑜が孫権軍に加わってからは、孫瑜自身が家の責任者という事ですね。

 

 

 

そんな一門衆の重責を若くして背負った孫瑜でしたが、決して威張り散らすようなことは無かったことが史書によって明らかになっています。

 

当時孫権軍を強く支えているのは、徐州や長江を隔てた揚州西部の名士たち。孫瑜はそのパワーバランスをしっかりと考慮し、孫権軍の主力名士たちを、謙虚に丁重にもてなしたのです。

 

 

 

そして建安9年(204)には、丹陽(タンヨウ)郡の太守として揚州の中の1郡を治めることになりました。

 

丹陽といえば、当時の孫権にとってはお膝元ともいえる重要拠点。その太守は孫一門の信頼できる人物に任せるというのがお決まりになっていましたが、実は孫瑜の就任する少し前に、孫権の実の弟が暗殺されるという事件が発生していたのです。

 

当然、卑しい身分から成り上がった孫一門では、孫権にとって信頼できる血縁者はほとんどおらず……そのため、お鉢が現状でもっとも信頼のおける孫瑜に回ってきた、というわけですね。

 

 

しかし、孫瑜も名前だけの残念武将ではありません。

 

実際には丹陽の地を見事に治め、彼の名声を慕って続々と近隣から部活に志願する者が集結。孫瑜が太守を務めている間に、実に1万以上もの人が駆け付けたと言われています。

 

 

 

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一門衆の柱・知将孫瑜

 

 

 

 

丹陽太守就任から2年後の建安11年(206)には将軍の位に上がり、周瑜(シュウユ)と共に江夏(コウカ)に遠征。麻(マ)、保(ホ)の2つの砦を打ち破り、捕虜を獲得する戦果を上げます。

 

 

その後、孫瑜の事績は述べられていませんが……おそらく周瑜と共に前線で戦っていたのでしょう。周瑜曹操を赤壁で破った後、西方に進軍を開始しますが、周瑜はまもなく病気により他界。計画は頓挫してしまいます。

 

この時孫瑜は、周瑜から「益州は孫瑜殿に任せたい」という旨の発言をしており、記述はないながらも随所で光る活躍をしていたのでしょう。

 

 

 

周瑜の死により孫権の領土拡大が停滞した後、今度は曹操が揚州の本拠地に向けて大規模進軍を開始。孫権軍は防衛基地である濡須(ジュシュ)の地で幾度となく戦いを繰り広げることになります。

 

この時、孫権は大将であるにもかかわらず前線に立ち、曹操軍に攻撃を仕掛けて挑発攻撃を実行。孫瑜は孫権に対して自重を促しますが、孫権は聞かずに出陣。結局曹操軍が攻めてくることも戦果を挙げることも無く戻ってくることになったと言われています。

 

 

後に、孫瑜は一門衆筆頭格として奮威将軍(フンイショウグン)に昇格。丹陽太守の任務をそのままに、前線基地ひとつである牛渚(ギュウショ)へと駐屯。すっかり、孫権には重く任用されている様子が伺えます。

 

 

それからの孫瑜は、人材発掘に尽力。世に出した人材は列伝を立てられる有名人物ではありませんでしたが、反政府民族の多い土地を見事に管理。支配下に収めることに成功したと語られています。

 

 

このように地味ながら優秀さを大いに見せつけ、その後の更なる活躍が期待された孫瑜でしたが……建安20年(215)には39歳の若さで病没。

 

その息子らの中には、侯爵や将軍職まで上り詰めた者もいたと言われています。

 

 

 

 

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人物評

 

 

 

三国志の生みの親である陳寿からは個別の評が与えられているとは言い難い孫瑜ですが……彼の記述を見ていてわかることがあります。

 

それが、彼は学識と名声を持ち合わせた、風雅な知将であったという事。

 

 

彼の伝には、その生活態度が以下のように記されています。

 

 

学問に傾倒した学者を丁重に招聘し、配下の数百人に命じて教養を身につけさせた。

 

他の部将が軍務一点張りだったのに対し、孫瑜は古典を愛して遠征中にも書物を手放さなかった。

 

 

また、学者気質が転じて自分が招いた講師の授業に自分で参加したりと、学問に傾倒している姿がよく記述されています。

 

特に孫呉の武官は叩き上げが多く、言ってしまえば教養をよく知らない者が多いのが実情。そんな中、孫瑜の学問好きの姿勢はさぞや異彩を放っていた事でしょう。

 

 

三国志の世界は決して無秩序な戦乱の世の中というだけでなく、儒教の「学」と「孝」……つまり、勉強ができて親孝行をよくする人物が非常に好まれたという背景もあります。

 

もしかしたら、孫瑜の飛び抜けた名声は学問を好む姿勢に心を打たれた人たちが、大挙して押し寄せた……というのも大きい理由かもしれませんね。

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