凌統 公績


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凌統 公績

 

 

生没年:中平6年(189)~?

 

所属:呉

 

生まれ:揚州呉郡余杭県

 

 

凌統 勇将 合肥 甘寧 武人 決死隊 呉

 

 

凌統(リョウトウ)、字は公績(コウセキ)。史書では「淩統」名義での記載である一方で一般的には「凌統」と記載されることが多い人物ですが、とりあえず彼の伝を追う上では、「凌統」表記で書かせていただきます。

 

父の代から孫家に仕える武官で、父絡みの逸話も多い人。

 

また、武勇も達者で合肥の敗勢でも奮戦しており、武勇と人格を兼ね備えた武将として、その死は孫権も大いに悲しませたほどの人物です。

 

 

今回は、彼の逸話を追っていきましょう。

 

 

 

 

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父の名を汚す者は……

 

 

 

凌統の父である凌操(リョウソウ)は武勇に優れたエースの一人でしたが、戦争中に矢に当たって戦死。

 

この時凌統はまだ15歳でしたが、凌操が名誉の戦死を遂げたことと、凌統自身の将来性を側近が口にした事もあって、孫権(ソンケン)より父の就いていた地位を代行役という立場で受け継ぐことになりました。

 

 

その後凌統は建安11年(206)の山越(サンエツ)討伐に参加しましたが、ここで大きな問題が発生してしまったのです。

 

凌統は総攻撃を前にして、大将の陳勤(チンキン)と共に酒宴を開いていました。この時陳勤が参加者を見下して好き勝手言い始めたため、凌統はこれを真っ向から諫言。

 

それによって腐れ気の強い陳勤の怒りを買ってしまい、凌統ばかりか亡き父まで罵倒し始めたのです。

 

 

凌統はこの仕打ちに涙を呑んで耐え抜こうとしましたが、酒宴後開きになった後もわざわざ後についてきて延々と父をバカにし続ける陳勤にとうとう怒りが爆発。その場で刃傷沙汰を起こしてしまい、その傷のせいで陳勤は死んでしまったのです。

 

 

 

「この上は死んで詫びるしかない」と感じた凌統は、作戦当日になると真っ先に敵に突撃。将兵を激励しつつ自ら矢面に立って奮戦し、その力に恐れをなした敵軍は一気に瓦解していきました。

 

結局死んで詫びることもできなかった凌統は、戦争が終わった後、やむなしと自ら出頭して縄を受け、孫権の前に姿を現しました。

 

 

そんな凌統の姿を見た孫権は剛毅さに大いに感動し、罪は手柄でまかなうよう計らい、凌統の罪は実質的にないものとなったのでした。

 

 

 

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呉の勇将

 

 

 

建安13年(208)、孫権は江夏(コウカ)を奪うべく黄祖(コウソ)討伐を決行。この時、凌統は先鋒部隊として出陣。

 

本隊よりもはるか前を先行して敵軍を蹴散らして回り、敵将の首を上げるなどの大活躍を見せ、その功績で承烈校尉(ショウレツコウイ)に昇進しました。

 

 

その後曹操が南下してくると赤壁の戦いにも参加し、曹操を撃退した後には残存部隊の曹仁(ソウジン)攻撃にも参加。ここでも本隊が別動隊を救援する間本陣を敵の攻撃から耐え抜くなど、活躍を示しています。

 

 

 

建安19年(214)には呂蒙(リョモウ)らと共に皖城(カンジョウ)攻略に出陣。皖城は孫権軍の喉元に刺さった重要拠点でしたが、これらを陥落させ、盪寇中郎将(トウコウチュウロウショウ)に昇進、沛国の相も一緒に任されるなど大身となったのです。

 

 

 

 

 

合肥戦線、必死の奮闘

 

 

 

建安20年(215)、孫権軍は自分たちの膝元である揚州から完全に曹操軍を駆逐しようと、合肥に兵を進めました。

 

凌統も一軍を率いる将としてこの戦いに参加したのですが、合肥を守る張遼(チョウリョウ)らの奇襲により士気が上がらず、結局包囲を解いて撤退することに。

 

 

その撤退のさなか、再び張遼が姿を現し、猛然と孫権らに襲い掛かったのです。

 

この時凌統は孫権らと共に軍の後方で殿軍をしていましたが、兵たちを呼び戻そうにもすでに遠くへ避難しており間に合わず、孫権は絶体絶命の危機に陥ってしまいました。

 

 

凌統はそんな絶望的な状況の中、自身の近習300人を招集すると、張遼らの奇襲部隊に突撃を敢行。包囲を突破し、孫権らの退路をまたたく間に確保しました。

 

そして孫権の撤退を見届けると、これ以上の追撃を許さないために再び敵軍に突撃。近習が全滅し自身も重傷を負う中で、数十もの敵兵を討ち取る獅子奮迅の活躍を見せ、孫権の安全が確保するまで戦い抜いたのです。

 

 

その後深手を負ったまま泳いで川を渡り孫権の元に帰還。近習が誰一人として返ってこなかったのを見て涙したと書かれています。

 

孫権はそんな凌統の涙を拭いてやると、

 

「近習たちの事は残念だった。だが、お前がまだいる。それでよいのだ」

 

と凌統をなだめてやり、彼を偏将軍(ヘンショウグン)に昇進。これまで率いていた兵の倍の数を預けたのです。

 

 

 

この時凌統も瀕死の重傷を負っていたようで、孫権はすぐに自分の船で凌統を寝かせて手厚く看病しました。

 

『呉書』には卓氏の良薬なる薬によって快方に向かいなんとか生き延びたともあります。

 

 

 

その後凌統は、人口不足に苦しむ呉の国情を鑑みて「山越には勇敢な者らが多くおります。平定し、彼らを仲間に迎え入れましょう」と申し出たのを最後に、活躍の記述は途絶えます。

 

後に任地から戻る際に病気を患い、そのまま49歳で死去したとか。しかし29歳説もあったり49歳だと他の伝の記述と噛み合わなかったりして、なかなかはっきりしていません。

 

 

その死は孫権を大いに悲しませ、彼が大きなショックを受けたのは、呂蒙と凌統が一番だったとされています。

 

 

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人物像

 

 

 

凌統の人物像に関する記載は、伝の長さを考慮するとかなり多いです。

 

陳寿からの具体的な評は述べられていませんが……彼の人物像としてこんな一文がまず目につきます。

 

 

有能な者と積極的に接し、財貨を軽んじて信義を重んじ、一国の国士たる気風があった。

 

 

その姿は一国を背負うに足りる人物であると、かなりのべた褒めですね。実際に凌統は父の事を尊敬し、近習の全滅を悲しむなど部下を大事にしていた様子があります。

 

言ってしまえば、儒教社会における模範生のような人物だったのではないでしょうか。

 

 

 

同郷者である盛暹(セイマン)なる人物が「凌統以上」と称されたときも、盛暹が夜中に来たにもかかわらず親密に案内して回るという逸話もあり、その人格は概ねベタ褒めされていると言ってもよいでしょう。

 

役人たちにも丁重に挨拶したり、律儀に自分の罪を白状したり……案外、委員長タイプの生真面目で善良な人物だったのかもしれませんね。

 

 

メイン参考文献:ちくま文庫 正史 三国志 7巻

 

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