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曹植 子建

 

 

生没年:初平3年(192)~太和6年(232)

 

所属:魏

 

生まれ:豫州沛国譙県

 

 

 

 

曹植(ソウショク/ソウチ)、字は子建(シケン)。文才に優れた自由人で、はるか先で杜甫が出てくるまでは中国史上最大の詩人と称されたほどの人物ですね。

 

おおよそ後付けの部分も多いのでしょうが……その性格はフリーダム。いかにも文人らしさにあふれる人物でしたが、同時に功名心も高く、意外と武功を立てたがっていた可能性すらあります(配下に流されただけかもしれんけど)。

 

 

詩に関する部分は今回は置いとくとして……曹植の一生涯における主な動きを見ていきましょう。

 

 

 

 

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祭り上げられた天才貴公子

 

 

 

曹植は幼いころからいわゆる神童と言える人物だったようで、十数歳の時には文章に精通し、数万字ともいえる詩や論語などの文学をマスター。父・曹操(ソウソウ)すらも「部下にでも書かせたか?」と疑ってしまうほどの見事な文章を作成したとされています。

 

また、その時に他の兄弟たちと一緒に詩を作って疑いを晴らしたのですが……いの一番に完成させておきながら詩の内容は見事な物だったそうな。

 

そんな詩才もあって曹操からは気に入られ、建安16年(211)には平原(ヘイゲン)侯に取り立てられ、3年後には臨淄(リンシ)に移封されるなど、宗家の男子として相応の扱いを受けるに至ったのです。

 

 

しかし曹植は、同時に武将としての自覚があったようで、兄たちと同じように若くして烏丸征伐や潼関の戦いといった大規模な戦いにも従軍した記録があり、実際にはなかなかに武断派の人物だったようですね。

 

曹操もそれに気づいたのか、自身が孫権(ソンケン)征伐のため曹植に留守を任せる時、「お前は今23歳、わしが出世の道を開いたのも23歳だ。頑張らねばな」と激励の声をかけたのでした。

 

 

……が、こうして曹操からの寵愛が深くなり続ける中、とうとうひとつの問題が発生します。兄・曹丕(ソウヒ)との間に起きた、曹操の後継者問題です。

 

曹植本人はこの件に関してどこ吹く風といった様子だったのですが、曹植の部下として動いている取り巻きたちはこれを「自身の出世がかかった千載一遇の好機」と捉え、ついに曹丕の派閥に属する文官たちを讒言、ひどいものは免職や処刑にまで追い込みました。

 

 

曹操曹操で、曹植の類まれな才覚や自身ともどこか似た気風から「曹植を後継者にした方がよいか」とかなり迷ったようですが……この一連の案件は兄の曹丕がきっちりと自身を律して人に気に入られるよう飾り立てた行動を続けたこと、対して曹植は相変わらずフリーダムに生き続けたことから次第に曹丕側が逆転。

 

建安22年(217)には正式に曹丕が後継者となる事が決まり、曹植は祭り上げられた立場から下りていくことになったのでした。

 

 

 

 

元ライバルへの仕打ち

 

 

 

さて、こうして部下たちが奮起して大問題になった後継者問題を降りることになった曹植ですが……かつて後継者争いで主流派を散々苦しめた者に対する仕打ちは、当然ながら冷たいものだったようです。

 

まず曹植の派閥で側近を務めた楊脩(ヨウシュウ)が、曹操に難癖に近い理由で処刑され、一気に派閥の勢力が削減。さらに曹操の死後に曹丕が跡を継ぐと、さらに後継者争いの主力のひとりであった丁儀(テイギ)が、一族郎党と共に処刑されてしまいます。

 

 

さらに曹丕が皇帝に即位した翌年の黄初2年(221)には讒言により安郷(アンキョウ)侯、さらにはその年のうちに鄄城(ケンジョウ)侯に移封と、各国を転々と回されて派閥が作れないように牽制されるようになります。

 

黄初3年(223)には鄄城侯から鄄城王に格上げされるも、翌年にはさらに雍丘(ヨウキュウ)王に再び移封し、さらに浚儀(リョウギ)王、再び雍丘王、東阿王、陳王と、死ぬ時まであちこちを転々とするばかり。もはや派閥も政治権力も手にできないほどのものになってしまったのです。

 

 

それでも曹植は自身の力を振るいたいと考え、「男が世に生まれた以上は父と主に仕え、家と国家を繁栄させることを貴ぶものです」と自身の政治的な登用を訴えかけますが、ついにその願いは叶えられることはありませんでした。

 

一応曹丕からは暖かい言葉を送られたりはしたようですが……やはり帝の道を過去一度は阻みかけた身。漢王朝が滅んだ理由も身内への甘さから付け込まれた節があり、それも手伝って最期まで曹植は冷遇され続けることになったのです。

 

 

その仕打ちは曹丕の死後も変わらず、曹丕の子である曹叡(ソウエイ)に親族の交流再開の願書や政治的な意見を文面で上奏したりしたのですが、いずれも曹叡から親密な返答をされはしてもOKサインは出ることはありませんでした。

 

曹叡自身は最大限曹植の意見を受け入れようとした片鱗は感じさせますが……やはり過去と時代の問題か、いずれも曹植の期待したほどのものにはならなかったようですね。

 

 

当然、力を持ちすぎないよう厳しく属官や部下の数を規制され、力を持ちえないレベルの人物を200人も取り巻きに持てればいい方という有り様だったとか。

 

そんな曹植は史書に曰く「常にあたふたして楽しい事もなく」、41歳で死去。遺言により、葬式は簡素に執り行われました。当人が生前「東阿の街で死にたい」と嘆息して述べていたのを考慮して、墓陵は東阿に建造されたそうな。

 

 

 

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所詮は後継者争いの敗北者じゃけえ

 

 

 

とまあ、以上の超冷遇をもって、「曹丕は外道」という結論に位置づけられる論証として取りざたされる曹植ですが……まあ、過去にやったことがやった事なので、致し方なしといったところ。実際、そういう人物を嫌々だろうが御輿として祭り上げる野心家は結構いるのです。

 

ただ、当人が果たして本当に曹操の後継者という立場を望んだかというと、何だかんだYESとは考えづらいところがあります。

 

 

というのも、曲がりなりにも皇太子の立場としてあまりにフリーダム。

 

儀礼なんぞ知った事かとゴテゴテの馬車を嫌い、曹操生前にも帝専用の通路を通って確執が残るレベルで怒られたり、樊城の戦いでは将軍として出撃命令を受けそうになった時も酔いつぶれて動けなかったり……なんというか、形式にまったく当てはまらないタイプの人物といった印象が強いです。

 

 

一方で「男の生きざま」には強い憧れがあったようで、当人は文才を評価されたことをあまり喜ばなかった様子。例えば先述の「自分を官吏として登用してほしい」という手紙もそうですし、『典略』では楊脩に送った手紙の一環で「詩なんぞ大して役に立たないし、国や民のために力を振るいたい」という旨の事を書いたりもしています。

 

好きな事と得意分野が完全に別物で四苦八苦する人物は古今東西後を絶ちませんが、曹植もそんな類の人物だったのかもしれませんね。

 

 

ただし、先述の通りそんな願いは最後までかなわずじまい。功名心を知っている側近によって「後継者の弟」ではなく後継者候補そのもののように扱われ、そのまま後継者争いに敗北。

 

その後は「世の中を騒がせたはた迷惑な敗北者」として、最期までお飾りの皇族枠として各地を転々とする羽目になったのです。

 

 

もし曹植がその気になってキッチリと宮中の心をまとめたのなら、また違った結末が見れたでしょうが……いずれにしても曹植の望む形の未来は築けそうにないですね。

 

がんじがらめの権力者もやはり相応の苦しみがある。そんなことを思い出させる生き様でした。

 

 

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