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倉慈 孝仁

 

 

生没年:?~?

 

所属:魏

 

生まれ:揚州九江郡寿春県

 

 

 

 

倉慈(ソウジ)、字は孝仁(コウジン)。基準は正直よくわかりませんが……三国志のライト層向け偉人伝にもひょっこり顔を出すことが多く、マイナーな人物でありながら時に魏の代表格にまで数えられる人物。

 

実際のこの人はどうかというと……ぶっ飛んだ偉業を成し遂げたひとり。完全野蛮な未開の地に単身で赴任し、周辺一帯をほとんど完璧にまとめ上げたという隠れた超人です。

 

 

今回は敦煌の守り神・倉慈の伝を追ってみましょう。

 

 

 

 

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ハイパー政治家、敦煌へ

 

 

 

倉慈ははじめ、郡の役人でした。言ってしまえば、そこそこの身分ではあるものの、単なるその他大勢に過ぎなかったわけですね。

 

しかし、曹操(ソウソウ)が軍の食糧供給を安定させるために屯田制を開始すると、領内では屯田管理を行う新たな役職が必要とされるようになってきます。倉慈はそんな折に、次の仕事として自ら屯田関連の役職に応募。

 

ここで実績を上げていき、ついに息子の曹丕(ソウヒ)の政権下では大都市・長安(チョウアン)の県令(ケンレイ:大きな県の県長)に出世しました。そして、長安にて無駄な出費をケチって経費の無駄遣いを抑え、官吏たちには怖がられると同時に恐れられたとか。

 

 

そんな小役人出身とも思えないほどの見事な業績を上げた倉慈は、今度ははるか北西の果ての果て、困窮民や犯罪者が押し込まれる辺境の敦煌(トンコウ)太守に抜擢されたのです。

 

この敦煌の地は過去に二十年ほど太守が不在だったこともあり、異民族と漢民族の混在する無法地帯。すでに中央との連絡は絶え絶えといったところで、豪族たちが好き勝手にふるまって異民族や弱者を思うままにいたぶるようなディストピアに成り果てていました。

 

 

この状況に手出しができなかった前太守から仕事を引き継いだ倉慈は、この現状を改革するために、さっそく自らに行える手段を行使していくことにしたのです。

 

 

 

 

敦煌の守り神

 

 

 

 

倉慈は豪族の力を削ぐとともに貧民の生活安定に向けた施策を実施しました。

 

 

倉慈が行った政策として記されているのは、主に3つ。

 

 

1.土地や租税の整理

 

2.法律の再整備と定着

 

3.交易詐欺の取り締まり

 

倉慈がまず目をつけたのは、有力豪族と庶民の圧倒的な格差問題。敦煌は豊かな土地を持った交易地帯でしたが、その土地のほぼすべてが豪族の私有地。庶民の生活基盤はほとんど存在しなかったのです。

 

そのため、一家の頭数に応じて租税や土地をしっかりと取り決め、時間をかけて少しずつ土地の配分を領民の感覚に浸透させていきました。

 

 

 

そして、法律の再確認。無法地帯に中立の政府がドンと立っているだけならば、それを都合よく利用しようとするのは当然。敦煌では裁判沙汰や訴訟が非常に多く、影響力の弱い政府は下手な判決を行えずに訴訟が溜まっていました。

 

倉慈はそれらの訴訟を公平に片付けるため、自ら視察を行って裁決。さらに死刑に値しないようなものに関しては鞭打ち程度で済ませる等、非常に刑罰を軽いものにしていったのです。

 

 

敦煌の問題はそれだけではありません。元々交易都市であったために、西方から入る特産品が敦煌経由で山ほど贈られていました。が、法律など単なる飾り。豪族たちによる詐欺や押し買いによって漢王朝には届けられず、住民だけでなく近隣の異民族も迷惑していたのです。

 

これに関しても、自らが通行手形を発行して護衛をつけることで、豪族の好き勝手を牽制。役所での取引に場所を限定して公平なやり取りを行ったため、異民族にも彼を慕う者が続出したとか。

 

 

このように、倉慈は無法地帯の敦煌をきちんと統制するべく奔走。就任からわずか数年で亡くなりましたが、その数年での実績は計り知れず、亡くなった際には多くの人民がまるで親戚を亡くしたように悲しみ、倉慈の姿絵や遺像を作って死後もなお慕い続けたのでした。

 

異民族の民たちも倉慈の死を聞くと役所に大勢集まって、彼への絶対の忠節と感謝を表すため自分の顔に傷をつけた者までいたとか。

 

 

その後、倉慈は祠を建てられ、長らく土地の守り神として祀られています。

 

 

 

 

人物評

 

 

 

倉慈はお世辞にも名門の出という感じではありませんが(中にはあえて低級の仕事に入るひねくれ名門も中にはいるものの)、持ち前の政治能力と公正さで辺境を守る名太守の一人として知る人ぞ知る人物といった地位を獲得しています。

 

三国志を編纂した陳寿は、彼を評して以下のように記しています。

 

 

筋道の立った思いやりある政治をした名太守である。

 

 

後に敦煌には実力ある人物が赴任してことごとくが名太守として事績を残していますが、どれも倉慈ほど慕われることはなかったと史書には記されていますね。

 

決して目立たぬ辺境にてひっそりと、それでいて多大な功績を残した倉慈。史書の記述は決して多くはありませんが、名太守としてたたえるには十分すぎるほどの事績です。

 

 

中国史では、三国志に限らずどの時代にも偏狭でひっそり頑張る名太守は現れますが……倉慈もそんな人物の一人であり、その中でも特に優れた開拓者の一人と言えるでしょう。

 

 

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