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田豊 元晧

 

 

 

生没年:?~ 建安5年(200)

 

所属:他

 

生まれ:冀州鉅鹿郡(勃海郡?)

 

 

 

 

田豊(デンホウ)、字は元晧(ゲンコウ)。主に出所からしてイマイチ胡散臭い『先賢行状』なる偉人伝に彼の伝が設けられており、正史をはじめ三国志を取り扱った資料の多くでちょくちょく名前が出てくる人物ですね。

 

立ち位置としては袁紹(エンショウ)の謀臣のひとりにして、優柔不断で器の小さい彼に足を引っ張られて才能を発揮しきれなかった悲劇の人……といったところでしょうか。

 

 

まあ、実際はそんな単純なものでもないようにも思えますが……とりあえず記述をザックリ追っていくことにしましょう。

 

 

 

 

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中央でも通じるレベルの優等生

 

 

上記の「生まれ」の項目からわかる通り、田豊は結局のところどこの出の人かはよくわかっていません。

 

両親は早くに高いし、田豊の心に影を落として数年後にも心から笑う事が無かった……という旨が先賢行状には記されていますね。

 

 

さてそんな田豊ですが、彼は若いうちから博学多識で評判も上々。ついには中央からお声がかかるレベルの名士にまで成り上がりましたが、この当時は党錮の禁と言われる宦官と名士によるガチバトルの延長線上にある時代であり、とても地方名士の田豊にとってプラスになる環境ではありませんでした。

 

田豊はそんな中でも侍御史(ジギョシ:官吏の弾劾を行う高官)にまで上り詰めたものの、結局は嫌気が差して辞職し地方に帰っていったのです。

 

 

後、田豊の地元である冀州では、袁紹の謀略によって州牧(長官)の韓馥(カンフク)が辞任。袁紹が新たな冀州牧に成り代わると、ついにその袁紹から田豊に声がかけられます。

 

この時の袁紹は腰を低くした謙虚な姿勢で、多額の引出物を用意するという、田豊を明らかに重宝するような様子を見せていたため、田豊も二つ返事でこれを承諾。「世直し」という大きな野心をかなえるため、別駕(ベツガ:州牧の属官)として袁紹に仕官することになったのでした。

 

 

 

 

主君との相性×

 

 

 

さて、こうして「真の主を得た」かの如く袁紹軍に身を投じた田豊ですが……知っている人は知るとおり、主君との関係性はあまり良いと言えるものではありませんでした。

 

初平3年(192)に北方の雄・公孫瓚(コウソンサン)との間で行われた界橋の戦いに田豊も参加しますが……この時からすでに袁紹との価値観の相違が明るみになりつつあったようです。

 

 

界橋での決戦は圧倒的不利を跳ね返し袁紹軍の勝利に終わりますが、勝ちに乗った袁紹軍がほぼ全軍で敵になだれ込んでいったときに、突如手薄な袁紹軍本陣に倍を超える公孫瓚の精鋭騎馬隊が攻撃開始。

 

田豊はさすがにまずいと思って袁紹を壁の内側に押し込もうとしますが……当の袁紹は田豊のそんな態度に対して逆に怒り心頭の様子を見せます。

 

「大の男が、みっともなく逃げてまで生き延びようとするものか! 前に突き進んで死ぬだけよ!」

 

 

結果として敵の側が袁紹本隊だと気づかず撤退していったことで何とかなりましたが、自分なりの忠節が君主の気分という意味で裏目に出たことは、田豊にとって愉快なものではなかったでしょう。

 

 

 

悲劇の謀臣

 

 

 

いよいよ来るべき曹操との決戦に向けて軍が戦場に集まりつつある建安5年(200)の正月には、曹操の留守を突いて劉備(リュウビ)が反乱。曹操はこれを討伐するために東の徐州(ジョシュウ)へと急遽軍を進める大きなチャンスに恵まれます。

 

田豊もこの情報を掴むと、「今こそ曹操の本拠を攻める時です」と袁紹に強く訴えかけます。が、袁紹は本気でそう思ったのか田豊を疎んでいたせいなのか、「三男の袁尚(エンショウ)が病だから無理」とこの提案を拒否。

 

千載一遇のチャンスを息子の病気で不意にされてしまった田豊は杖を地面にたたきつけて悔しがったとされていますが……ともあれ、背後の心配がなくなった曹操はすぐに劉備を片付けて帰還。容易に手が出せない状況になってしまいました。

 

 

が、袁紹の方はむしろやる気満々で、曹操軍を短期決戦で一気に呑み込む腹積もり。曹操の能力の高さや兵の精強さなどどこ吹く風で、圧倒的な戦力を武器に呑み込むつもりで進撃準備を進めていました。

 

田豊からすれば、何をしでかすかわからない曹操との正面決戦は下策。すぐに袁紹にお目通りして、持久戦の展開を進言します。

 

「曹操は兵法の達人で、正面から戦うと何をされるかわかりません。今は国力の増強と曹操軍の圧迫に専念し、奇襲や散発的な襲撃で敵の疲れを誘いましょう」

 

 

この提案はノリノリで曹操軍を攻め滅ぼそうと考えている袁紹にとっては非常に面白みのない言葉だったようで、当然のように却下。それどころかうるさく進言を繰り返す田豊に嫌気が差し、とうとう獄につないでしまったのです。

 

 

こうして謂れのない罪びととして獄中から袁紹軍を見守る形となった田豊ですが……官渡での決戦は袁紹軍の逆転負け。田豊を牢獄に放り込んでまで戦いを挑んだ袁紹は大いに恥をかいた形になり、「こいつが余計な事を言ったせいで私は笑い者だ」と大激怒。

 

田豊はついに、逆ギレした袁紹によって処刑されてしまったのでした。

 

 

 

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人物評

 

 

 

さて、こんな「悲劇の謀臣」とも言うべき出自からか、田豊の評価は似たような最期を迎えた沮授(ソジュ)と並んでかなり高いです。

 

例えば正史の袁紹評の最後には、以下のような言葉が書かれています。

 

 

楚の項羽が参謀の范増が言っていたことを無視したせいで天下を逃したが、袁紹のそれはこれよりもひどいものだ

 

 

三国志注釈家のひとりである晋の孫盛は「高祖・劉邦の軍師である張良、陳平にまさる」と絶賛し、同年代でも曹操軍に身を寄せていた孔融(コウユウ)が優れた策士の代表として名を挙げていたりと、悲劇性も相まって後世でも高い評価を受けている人物ですね。

 

 

一方で曹操の幕僚である荀彧(ジュンイク)には「強情で人に逆らう」という評価を下されており、少なからず人格面の問題も最期に影響していると言えなくはありません。

 

 

 

個人的には歴史の暗部というか、「愚劣な上司と悲哀の天才軍師」という構図を作り上げようという歴史家や国家の事情が見え隠れする所ではありますが……田豊に相性のいい君主と出会うだけの運がなかったのは間違いないでしょう。

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