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張角

 

 

 

生没年:?~ 中平元年(184)

 

所属:なし

 

生まれ:冀州鉅鹿郡

 

 

 

 

張角(チョウカク)と言えば、やはり思い浮かぶのは黄巾の乱と妖術ではないでしょうか。というか無双シリーズでの破天荒なキャラが強すぎて、そちらを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。

 

が、実際は怪しい宗教団体の教祖として流民を多く匿い、その宗教団体を反政府の革命軍に昇華。バレたとはいえ政界中枢への工作によって本気で国を壊してしまおうとする梟雄と言ってもよいかもしれません。

 

 

記述こそほとんどありませんが、背景から想像できることが多い、そんな人物です。

 

 

 

 

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救世主? 大賢良師張角

 

 

 

張角の出自については、まったくよくわかっていません。一説にはもともと官僚をしていたとも貧乏な家の出とも、あるいは役人への採用試験に落ちたともいろいろ言われていますが……どれも決定打と言える証拠は残っていません。

 

 

『典略』によれば、張角が人心を掴む要因となったのは、「太平道」の教義に基づいた、いわゆるおまじないの類い。

 

巫女が杖を持っておまじないをかけ、病人はその後に自身の過失やなにかしら過去の罪科を白状。その後に神聖とされる水を飲んで、病気が治れば信心深く、直らなければ不信心者……という、どこかのカルト教団でやってそうな内容だったとか。

 

ともあれ、当時は漢王朝の重鎮同士が清濁2派に分かれて熾烈に潰し合い、その負債を民が肩代わりする羽目になる暗黒時代。すがるものが何もない状況下で、それでも心の拠り所が欲しいという人も非常に大勢いました。

 

さらにこの時は地球の寒冷化による飢饉や天災が相次いだという話もあり……民衆その多くが上のや病気で死亡。人々は何かにすがっていなければ心落ち着かせることもできない時代だったのです。

 

 

そんなこともあり、張角の怪しげな宗教はいつしか名が知れ渡り、災害によって故郷を追われた流民が大勢張角のもとへと訪問。太平道は、彼を教祖とした一大宗教にまで発展したのでした。

 

 

そしていつからか、張角は自らを『大賢良師』と呼称。そして政府から半ば見捨てられたような流民が太平道信者になった事から、この一大宗教組織は次第に国家転覆を願う革命軍としての、危険な裏の顔を持つようになっていったのです。

 

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蒼 天 已 死! 黃 天 當 立! 

 

 

 

こうして政府を怨むような民衆を多数抱え込んだ張角は、やがて国家転覆のために信者を組織ごとに分けて地方に配属。来るべき時に備え、各地で散らばって一斉に蜂起する手筈を整えました。

 

また、自分の信徒の中から信用できる者を都・洛陽(ラクヨウ)に派遣し、政府の中から内応を呼び掛ける裏工作を行って派閥の中枢からも内応者を作ることに成功。

 

「蒼天すでに死す。黄天まさに立つべし。歳は甲子に在り。天下大吉たらん」

 

60年に1度訪れる甲子(カッシ)という年に当たる光和7年(184)3月に一斉蜂起を行うことに決めたのでした。

 

 

 

 

……が、ここで驚愕の事件が発生。怖気づいたか元々スパイだったのか、唐周(トウシュウ)なる男がこの大規模反乱を密告。政府に送り込んだ工作員も内応者も根こそぎ処刑されてしまい、周到に練っていたはずの反乱計画が頓挫してしまったのです。

 

 

しかし、張角らはすでに犯罪者。諦めて投降したところで、信者ともども殺されるオチが見えています。張角は自身を「天公将軍」と名乗ると、各自に檄文を飛ばして挙兵を告知。予定よりも1ヶ月早い蜂起を行い、中国全土を動乱に巻き込んだのです。

 

「漢王朝を示す蒼天を終わらせ、次に位置する黄天をもたらす」

 

そんな政治的なアピールから、信徒たちは皆、黄色い布を頭に巻いていたと言われています。

 

 

暴徒と化した黄巾党は、各地の政庁や役所を襲撃。役人を斬り捨てて回り、各地を戦乱の海に沈めます。

 

数にものを言わせた民兵の集まりはやがて討伐隊として各地に散った官軍すらも劣勢に追いやり、張角の直属の軍勢も優れた軍略家である盧植(ロショク)や董卓(トウタク)を圧倒し、漢帝国の転覆も目前かに思われました。

 

 

……が、所詮は裏工作が頓挫した結果のやぶれかぶれな反乱です。皇甫嵩(コウホスウ)、朱儁(シュシュン)といった化け物級の将軍、そして曹操(ソウソウ)や袁紹(エンショウ)、孫堅(ソンケン)を始め次代の群雄など官軍側の豊富な人材によって敗北は避けられ、逆に張角らの勢いは彼らに推されていくことになります。。

 

結果、運悪く張角が病死したことで勢いは消沈。主導者を失った張角の本隊は皇甫嵩の軍勢に敗北し、張角の遺体は棺から出されて曝され、さらには弟の地公将軍・張宝(チョウホウ)、人公将軍・張梁(チョウリョウ)も軒並み討ち取られ、黄巾の乱は収束していったのです。

 

 

しかし張角がこじ空けた風穴は大きく、その後も民衆の反乱や黄巾の残党、果ては異民族の活発な介入などによって国は乱れ、群雄らも黄巾の乱を踏み台に自分の天下を夢見るようになっていったのでした。

 

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そもそもなぜ黄色なの?

 

 

 

張角の人間性や性格はまったくもって見えてきません。しいて言えば、危険なカルト教団が次代の需要と見事にマッチした結果、大規模反乱、果ては乱世の火付け役になったといったところでしょうか。

 

そもそもこの当時は政治も腐敗しきっており、党錮の禁(トウコノキン)と呼ばれる政戦、弾圧、果ては災害や飢饉によって漢王朝は虫の息。黄巾の乱は民衆反発や世の混迷が深まるのを早めたという意味で歴史に名が刻まれていますが、放っておいても別の組織によって体制はひっくり返ったかもしれませんね。

 

 

 

さて、ではここで素朴な疑問。「そもそも、黄巾の乱のイメージカラーはどうして黄色なのか?」。

 

 

これは陰陽師とかで有名な五行説というものに関係があり、それに則って黄色をイメージカラーに定めたと言われています。

 

五行説には火(カ)、水(スイ)、土(ド)、金(ゴン)、木(モク)の5つの属性があり、これに当てはめると漢王朝は「火」の属性に分類される国でした。

 

 

そして火属性の立ち位置はというと、「金に勝ち、水に負ける。木より生まれて土を生み出す」。水属性が弱点であり、火属性の次には土属性が生まれる、という思想になります。

 

そして、土のイメージカラーは黄色。つまり、火属性から生じてそれになり替わる土属性を思い切り意識したものになるわけですね。

 

実際おもしろいことに、三国時代にもこの属性相生は利用されており、魏では黄初、呉では王国建立時に黄武、帝国となった際には黄龍という年号が使われています。

 

また、なぜ3月に決起を予定したかというのもまた面白い話がありまして……四季折々を表すものとして、木を春、火を夏、金を秋、水を冬、そしてそれぞれの四季の終わりの月を土と属性が付けられているという定義もあるのです。

 

現代日本でも、土用の丑の日というのは、モロに土属性を意識したものだと言われていますね。

 

 

3月は、当時の暦では春の終わりの土の月。火の夏が来ることなく漢が傾く……みたいな意味合いがあるのではと想像すると、なかなかに面白いものがあります。

 

なお、張角が亡くなったとされるのは11月。冬の土の月を迎えることができずに亡くなったともいえ、こう考えると結構皮肉が効いているような気がしますね。

 

 

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その後の黄巾賊

 

 

張燕(チョウエン)が率いた黒山賊も黄巾の一派という説があり、その後も曹操に帰順するまでは独立勢力として猛威を振るっています。

 

また、おもしろいことになっているのが、黄巾党が特に多かったと言われている青州(セイシュウ)、そして徐州(ジョシュウ)の情勢。

 

 

青州では黄巾賊がその後もちょくちょく暴れまわり、治安は悪化。深刻な被害をもたらしています。

 

また、曹操の率いる精鋭部隊・青州兵も、元は食べ物欲しさに兗州まで掠奪に来た黄巾賊。彼らは兗州を動乱の渦に叩き込み、間接的に曹操の台頭を手助けする形に。その後は曹操と戦うも敗北し、彼の雄飛の原動力として名が挙がっています。

 

 

一方の徐州も、官軍としてその地の黄巾討伐を行った陶謙(トウケン)を始め、太平道に代わり仏教を敷いた仏教カスの笮融(サクユウ)や皇帝を名乗って好き放題した闕宣(ケツセン)など、その後なかなかカオスで面白な人物の台頭の舞台になっています。

 

 

まあこれらが張角に関係するかどうかはともかく、実際に張角が遺した爪痕は非常に大きく、黄巾の乱を皮切りに漢という国が崩壊していったのは間違いありません。

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